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藤戸天城の概要


藤戸天城の概要


藤戸町とは、藤戸町藤戸、
藤戸町天城、天城台1〜4丁目からなる。


藤戸・天城両村は、
明治までは周辺の商業文化の中心として繁栄を極めたが、
近代交通の発展に伴い商業文化は次第に衰え、
倉敷市との合併に至った。


明治16年2月に児島郡藤戸村と天城村が合併し、
同郡藤戸村を新設。

同22年6月1日の村制実施を経て、
大正年に町制実施により藤戸町となる。

昭和29年12月1日に倉敷市(旧)となり、
昭和47年2月1日に新・倉敷市となった。



藤戸の起こり
東備郡村志によれば「上昔、備前の内海埋まらず広がりし時は、これを吉備の穴海と云って、此藤戸の辺は、迫門にて、西備中の海に連れり。其穴門穴斎などと云えるは、最上古藤戸の地也、しかるに中古に至って藤戸と名づけたる。

天城の起こり
星島繻閑の古帳書物写しによれば「藤戸向嶋を広田嶋には、青海大膳桜山に城築、元久年中居城す、嘉吉二年天子家臣天野六左衛門居城してより天城と号す、天は海に通じ、城はもとより城をあらわしており、海に臨んだ城があったので、この名がでてきたのであろう、以後代々天城を領して11代政和の時に明治を迎え、現在でもその当時の面影が町並みにみられるます。

佐々木盛綱像

  藤戸と天城に架かる新盛綱橋に設置されている
佐々木盛綱像撮影 サイト主催者

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